今日、インターネットで調べ物をしていたら、偶然あるフレーズが書いてあった。
「裸の王様」に誰か服を着させてあげられればいいのに・・・。
うーん、思わず唸ってしまった。
自分も過去に仕事上、少なからず経営者の方々と関係を持って、そう思う場面がたたあるからだ。
自分は他の人に、服を着せてもらっているつもりで、その服は実際には存在しないのだ。
つまり、本当に親身になって、この人に服を着せてあげよう・・と思う人もいないということである。
これはなんかさびしいことだ。本人は服を着たつもりで、ずっと裸なのである。
「俺は服を着てるぜ‼️」って、うーーーーん。
自分も様々な関係の経営者に、必要とされて、洋服を着せようとしたことがあるが、無理なものは無理。
こちらが、
「裸だから、早く洋服着ましょう、ほら、持ってきましたよ。」
といっても、裸の王様は・・・
「いや、我輩はもう服を着ておるぞ、その方我輩に向かって、どういう口の利き方をしておる❓我輩は王であるぞ‼️」
「いやいやあなたが、裸だと嫌だから絶対に声をかけて教えてね」っていうから言っただけだけど。だったら最初からお願いしなければよかろうに。
自分にとっては終わった人なので別に構いませんが、色々なものをポロポロとこぼしながらの人生もあるんだなって体感しました。
だんだん自分のことを本当に大切に思ってくれる人が去っていく、それもまた人生の一つの形。
例えば毎回、人を集めたり、何かを始めるたびに、同じようなことでトラブルが起きる人、 人間関係のトラブル、お金のトラブル、運営のトラブル、クレームばかり出る、その場合はトラブルを起こした相手が悪いのではなく、自分自身に問題がある可能性がとても高いです。問題を外部の人のせいにしたいで、一度自分自身の問題として真摯に落とし込まなければ同じような問題が形を変えて何度も起こるようになっています。
トラブルを起こした人に対して怒るよりも、その相手がトラブルを起こしたくなる原因を作ったのは誰ですか、問題の誘因を作ったのは誰ですかということです。そういった一歩引いた考え方をしない限り、いつも同じような問題に悩まされるでしょう。
「いつも催促される、注意される、アイツうるさいなぁ‼️」ではなくて、相手にそういう心配を抱かせている自分はいませんかという事、その相手の潜在的な心配事、フラストレーションを緩和させる処置を早い段階で気がついてフォロー入れてますかということです。
問題を外部的な問題にすり替えるのは簡単です、ただそこからは何も生まれないということは確信しています。まず自分に問いかけてみる、自分の中に至らない部分はあったのか、なかったのか。それは改善できるのか、できないのか。
人は、見たいときに見たいものを見て、好きなように解釈するものです。裸の王様にならないように、自分を第三者の客観的な目で観れるといいですね。
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